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魂喰 / #03 溶け潰れる家族の声

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「うっ…」

青年の意識が覚醒する。頭のズキズキとした痛みを感じ取りながら、彼はゆっくりとまぶたを開く。

(あれ…ここは…?)

目を開けた彼の視界に入ったのは、暗い部屋の天井。消灯された部屋の構造は、見知った我が家の居間だった。

(僕…どうして…)

彼は、ゆっくりと体を起こすと、重いまぶたをこすりながら、自分が寝ていた場所を手探りで確かめた。

(ソファ?)

彼が横たわっていたのは、居間に置かれたソファ。幅が広いそのソファは、普段、弟が昼寝に使っている場所。

(なんで…いつの間に寝た…?)

⦅今は何時?⦆

(待って、調べる)

時間を確かめるために、彼はスマホをポケットから取り出す。そして、画面を点灯しようとした。

「ん…?」

しかし、スマホの画面が点灯しない。電源ボタンを押しても画面は変わらず。電源が入る長押しですら、何の反応もなかった。

(バッテリー切れか…?)

そう考えた彼は、ソファの下の充電ケーブルを引っぱり出し、スマホに接続した。充電が開始され、着信ランプが赤く光る──はずだった。

「あれ?ん?」

何度ケーブルを繋ぎ直しても、スマホの充電は開始されない。ふと横を見た彼は、異様な事態に気がつく。

テレビの周りの録画デッキから、LEDの光が消えている。それだけなら、ブレーカーが落ちて停電したときと同じだ。だが、壁にかけられた時計も動いていない。電池で動く壁掛け時計が、停電で止まるはずはない明かりも動きも消え、シーンとした肌寒い部屋。何かがおかしい。ゾクリと恐怖を感じた彼は、ふと、足に違和感を覚えた。

(なんだ…これ…)

「いっ…痛いっ!」

足に触れた途端、ズキリと鋭い痛みが走る。その途端、ボーッとしていた頭がはっきりして、直前の出来事を思い出した。足に深い切り傷ができていること。命からがら逃げ帰ってきたこと。そして、恐ろしいバケモノが、自分を見つめて舌舐めずりした光景。

(まさか…まさか…!)

ソファから降りた彼は、暗い部屋の中でフラフラと歩き出す。足の痛みに耐えながら、彼は部屋中を見て回った。

(いいや、違う。たぶん、みんな二階で寝てるだけなんだ。そうだ!そうに違いない…)

念入りに一階の各部屋を見回ってから、彼は階段を上り始めた。てすりに体重を預け、足に負担をかけないようにしながら、彼は二階に到着した。

(みんな寝てるはずだ…いつもみたいに、敷きっぱなしの布団に寝転がって…!)

彼は、二階の寝室の扉を開け、部屋の中を覗き込んだ。

畳が敷き詰められた床に、何枚も敷布団が敷かれている。その上には、たたまれずにしわができている掛け布団。いつも通りの寝室だった。しかし、家族の寝息も、寝転ぶ人の姿も無い。ただ、ベランダへと続く大きな窓が開き、そこから漏れる風がカーテンを揺らしているだけ。

(いや…いや…)

「…きっと、掛け布団の中に潜って寝てるんだ。人間、変な眠り方を試したくなるときもあるかもだし…!」

焦る口調で独り言を呟きながら、彼は掛け布団をめくっていく。だが、その下に人の姿はない。

「そ…そうだ!きっと押入れの中だ。ドラえもんに憧れて押し入れで寝たい時だってあるさ!そんな楽しいお話を観て影響を受けて──」

呟きながら、彼は押入れを開ける。だがそこには、いつものように予備の布団やケースが詰め込まれているだけ。人が入る空間など無い。

「いや…いや…そうだ!きっと──」

なおも否定し、彼は寝室を出ようとする。すぐ後ろから、静かに迫る存在に気が付かないまま。

シュルッ

「え──ンンンッ!!!」

突然、彼の体に、細長いものが巻き付いてきた。腰から反時計回りに巻き付いたそれは、彼の上半身を締め付け、声を出せぬよう首も締め上げる。

「キッ…ヒュッ…」

彼は悲鳴を上げようとした。だが、締め付けられた彼の喉は、空気が抜けたような音を出すだけ。もがく彼を締め付けたまま、細長いソレは、彼の体をやすやすと持ち上げる。そして、彼を窓の外へと引っ張り出した。窒息させられながら一瞬にして引っ張られた彼に、抗う余裕は一切無かった。

(イイイ…ッ!)

振り回すように引きずり出され、視界がグルグルと回る。頬に冷たい空気が吹き付ける。目が回りそうな視界の中で、彼が把握できたのは、自分の体が外へと引きずり出されたことだけだった。

ボフッ!

「いぎゃっ!」

突然、彼の体が何かに激突する。柔らかく、ふわっとしたもの。気がつけば、首が締め付けから開放されている。考えるよりも先に、彼は酸素を求めて大きく息を吸い込んだ。

「ガハッ!ゲホッ!ヒァァ…ヒァァ…!」

一気に空気を吸ったせいか、それとも口に毛が入ったせいなのか、彼は何度か咳き込んでしまう。だが、荒い呼吸は止められない。ヒューヒューと言っていた喉も、徐々に元の呼吸音に戻っていく。

「ハァ…ハァ…フッ!?ッ〜!!!」

呼吸が戻りかけたとき、彼の体が急に圧迫される。背中を押され、柔らかくてふわっとしたものに押し付けられる。顔に大量の毛が触れる。息ができない。悲鳴を上げるが、その声は顔をふさぐ柔らかいものに吸収され、くぐもってしまう。ジタバタと暴れていると、圧迫から開放された。

「ガハァッ!…ゼーッ…ゼーッ…ヒュァァ…」

二度の窒息で、彼の目に涙が溜まる。溢れ出た涙は頬をつたい、薄い水の筋を残す。涙で濡れた目を開けた時、彼はようやく、自分が置かれている状況を把握した。

彼の体は、ピンク色の毛に押し付けられていた。柔らかく、それでいてしっかりとした強度がある感触。衣類用繊維とは違った、生物の体毛特有の触り心地。心が落ち着く香りがする、ふわっとした心地いい体毛。彼を体毛に押し付けていたのは、見覚えのある巨大な爪。あのバケモノの前脚まえあしに生えていたもの。彼の頭上からは、低い唸り声が聞こえる。その音に誘われるように、彼は上を向く。見上げた彼の視線が、あの生き物の目と合った。緑色の目が、彼をじいっと見つめる。その距離、わずか35センチ。彼は、生き物の前脚まえあしで抱かれる形で、胸部の体毛に押し付けられていた。

「捕まえた♪」

巨大な人喰いの生き物が、喉を鳴らしながらそう呟く。低いゴロゴロとした音とは対象的に、その声色こわいろは落ち着きのある女性のもの。

「ひっ…や…」

「ンフフ…もう逃さないわ。このまましっかりと──」

言うなり、生き物は彼の顔に大きな舌を押し当て…

「味わってあげる♪」

ベロリ、と舐め上げた。ねばついた唾液が糸を引き、彼の頬と生き物の舌に、透明な橋を形作る。

「や…やだ…止めて…やめてぇ…」

彼は真っ青になりながら、ガタガタと震え、小さな声で「やだ、やだ」と呟き始めた。

「あら、なぁに?」

生き物は、首を小さくかしげて彼を見る。

「声が小さくて聞こえないわ」

言うなり、生き物は舌を突き出し、彼の顔面に押し当てた。

「ッッッ〜!!!」

顔を塞がれた彼は、くぐもった悲鳴を上げながら、顔をそらそうと暴れ始める。だが、彼が頭を動かすのに合わせて、生き物も巨大な舌を動かす。右を向けば右へ、左を向けば左へ。下を向こうとすれば顎の下に舌先をねじ込み、無理やり頭を上げさせる。首をブンブンと振り回しても、分厚い舌が頭を包み込み、どの方向も肉の壁で塞がれる。窒息で、鼓動がどんどん早くなる。

「ッ…ッ…」

彼の動きがだんだんと鈍くなり、ビクンビクンと痙攣を始める。そうなった時、生き物はようやく舌を離した。

「ゴボッ…ゲホッ、ガハッ、ゴホッゴホッ!」

喉に詰まった唾液を吐き、激しい咳をしながら、彼は数分ぶりの空気を吸い込んだ。彼の顔はドロドロの唾液で汚れ、もはや、涙とヨダレの区別もつかない。

「ほら、もっと大きな声で言いなさい。聞こえないでしょう?」

息をするので精一杯な彼に対し、生き物は変わらぬ優しげな声を掛ける。だが彼は、それが不気味だと感じていた。獲物を弄んだのに、興奮せずに同じ声色で喋り続けている。まるで、何の感情もないかのように。

「ゲホッ…ヒッ…ァ…」

「ほら、言って。それとも、また味わわれたいの?」

先程よりも声が小さくなった彼に、生き物はまたもや舌先を突き出す。舌が彼の顔面を包み込もうと迫る。

「や、や…止めて!助けてぇ!!」

舌が顔に触れかけたその時、彼は、唾液まみれの口から大声を張り上げた。

「そう…助けてほしいんだ?」

生き物が、舌を彼の顔から離し、頭をゆっくりと上げる。至近距離だった生き物の視線が離れ、彼は少しだけ安堵した。

「は…はい!たすけ…助けて…!」

助けてほしいという思いから、彼は何度も何度も声を出す。生臭い唾液が口に入るたびに、それを吐き、咳をしながら、何度も何度も助けを乞う。彼の喉が枯れ、懇願こんがんの声が途切れた時──

「でも、いいの?」

生き物は、彼に尋ねた。

「いま助かったら、あなたは家族と離ればなれになるのよ?」

その一言を聞き、彼の目が見開かれる。そんな彼を、生き物は抱きかかえたまま下ろすと、今度は体毛のない腹部に押し付けた。

「ほら、聞こえる?あなたの家族のかわいい鳴き声」

丸く膨れた腹にめり込むほどの力で、彼はぎゅうっと圧迫された。彼の体が腹に埋まり、呼吸ができずに苦しくなる。だが、彼の耳は、生き物の腹の音をしっかりと聞き取っていた。コポコポと鳴る、腸の動く音。内容物が立てる、チャポンという水音。そして、その奥から聞こえる、何かがかき混ぜられるようなグチャッグチャッという音。およそ3秒ごとに鳴る、粘液がこすれるような音。その音の中で、音が出るたびに上がる、弱々しい悲鳴。

「ッ…アッ…」
「ギャッ…」
「ッ…アツイ…」
「オカアサン…ドコ…」

小さすぎて、誰の声なのかも分からない。だが、彼は確信した。知ってしまった。家の中にいたはずの家族が、いまや、この捕食者の腹の中なのだということを。

「あなたが私の毒で気絶している間に、みんな残らず食べたのよ。先に親を呑み込んで、それから子供達も平らげて」

生き物が、彼を腹から放してやる。開放された彼は、再び空気を吸い始めた。だが、その呼吸は、酸素を求めて必死だった先程よりも乱れている。

「二匹の親は、もうトロトロに溶けているわ。でも、後から食べた子供達は…どうやらまだ生きているみたい」

生き物の爪が、彼をガシリと鷲掴みにする。彼の体を爪が固定し、唾液でヌメる獲物をしっかりと掴んで離さない。

「っ…あ…やだ…やだぁぁ…やだよぉぉ…」

「あら、どうして嫌がるの?あなたは私のお腹の中で、家族と再開できるのよ?」

視線を上げた彼は、月明かりに照らされた、巨大な捕食生物の顔をはっきりと目にした。細かな鱗で覆われた口元は、柔軟に変形し、ニッコリと微笑む表情を形作っている。長いマズルの鼻先では、獲物の匂いを嗅ぎ取るかのように、鼻孔が何度も閉じては開く。彼を見つめる緑の瞳は、彼をまっすぐとらえていた。瞳の中の丸い瞳孔は、小さく絞られている。まるで、獲物を狙うライオンのような、捕食者特有の鋭い目つき。

「あなたは家族と一緒に、私の栄養に生まれ変わるの」

生き物の口がゆっくりと開く。唾液が糸を引き、白い牙が見え隠れする。分厚く大きな舌がぐるりと唇を舐め、それから、彼を誘うように垂れ下がる。

「私の中で、たっぷり鳴いてちょうだい…♪」

生き物は、口を開けたままそう発声すると、彼の体に喰らいついた。

「ング…ァアッ!」

一口で、彼の上半身が咥え込まれる。蒸し暑い口内に閉じ込められた彼の顔を、舌が余すこと無く包み込んだ。ドクドクと溢れ出る唾液が口内を潤していく。そして、彼の顔を、着ていた服を、髪を、どんどん濡らし、グチョグチョに汚し始めた。ねばついた唾液が、彼の鼻をふさぐ。彼は口で呼吸しようと暴れるが、舌は彼の体を口蓋こうがいに押し付け、何度も何度も転がすように舐めていく。口を閉じれば呼吸ができず、開けても唾液が次々に入り込む。呼吸ができない苦しみと、口に入り込む唾液の生臭さから、彼は何度も吐きそうになった。

唾液の責苦を味わわされ、窒息の恐怖でせいいっぱいな彼は気づいていない。自分の体が、最初に見かけた犠牲者のように持ち上げられていることを。生き物はあのときと同じように、勢いをつけ、一気に頭部を振り上げた。彼の体もまた、勢いをつけられ、一瞬だけ空中に留まる。そのわずかな時間の間に、生き物は口を開き、そしてまた閉じた。上半身だけ咥えられていた彼の体は、今や全身が口の中。

包帯を巻くためズボンを脱いでいた彼の下半身は、皮膚がさらけだされている。その皮膚にも、唾液が絡みつき濡らしていく。

「ンンンンンー!!!」

傷をふさいでいたガーゼが、舌に翻弄ほんろうされる中で剥がれてしまう。ふさがりかけていた傷に、ドロドロの唾液が染み込む。その強い激痛で、彼は唾液の泡を吹きながら悲鳴を漏らした。

舌が持ち上がるたびに、彼は挟まれ、つぶされ、そして転がされる。唾液を含んだ服が重くなり、彼を更に疲れさせる。彼の喉にも唾液が流れ込み始め、嫌でも唾液を飲んでしまう。唾液の中で溺れ続け、意識が朦朧とし始めた時、ようやく、彼は開放された。

「ア〜…♪」

生き物が、空へ向かって大きく口を開ける。泡立つ唾液がたまった口内で、彼の体は浮かんでいた。生き物は舌を使い、彼の体を持ち上げる。唾液たまりの中から持ち上げられた彼は、肩を小さく震わせながら、ねばついた唾液を吐き、ゆっくりとまぶたを開いた。

「ゥ…ア…」

暗く蒸し暑い口の中で、一体どれだけ苦しめられたのだろう。彼の時間感覚は、とうに狂い始めていた。

「ほら、外の空気よ。たっぷりと吸いなさい」

さんざん苦しめてきた相手の言うことなど、素直に従うべきではない。さらなる苦しみが始まるだけ。彼は、頭ではそう理解していた。しかし、熱い口内でなぶられた彼にとって、冷たい外気はまさしく天の恵み。

「ハァ…ハァ…スーッ、ハァ…」

言われたとおりに空気を吸う。それ以外の選択肢は無かった。

「そうよ、いい子ねぇ。もっと吸ってもいいのよ。あなたの人生で味わえる、最後の外の空気なんだから」

「スーッ…ゲホッ…ハァ…スーッ…ハァ…ゲホッゴホッ…」

何度か咳き込みながらも、彼は空気を吸っては吐いていく。呼吸を続けるうちに、早鐘を打っていた心臓も落ち着いていった。酸欠の頭痛が薄れ、頭がはっきりとしてきた時──

「それじゃあ、そろそろ…呑み込んであげる♪」

生き物が、そう声を発した。

「ヒッ!や、ま、待って!まだ──」

彼が言い終わるよりも早く、舌がすばやく持ち上がり、彼を口蓋こうがいに押し付けた。

「ガハッ!」

硬い上顎にぶつけられ、彼の肺から空気が漏れ出る。舌の圧力は凄まじく、彼は、自分が潰されるのだと錯覚した。圧力がどんどん強くなっていく。すると、彼の体が、奥へ奥へと滑り始めた。外を向いていた彼は、足から順に、喉の奥へと押し込まれていく。彼の足が柔らかな肉に包まれる。肉はどんどんせり上がり、彼の腰を、腹を、胸を呑み込んでいく。

頭が喉の奥へと沈む瞬間、かすかに開いた彼の目に、夜空で輝く月の姿が写り込んだ。

ドプッ…ゴックン!